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まだ冬の寒さの厳しい2月。
僕は熊本の中心街で、ある人を待っていた。
「のださん〜どうも〜」
そう!本日の記事の主役はくまwebの忘年会ではおなじみのWebデザイナー福田さんです!
福田さんは謙虚でありながら、どこか香る狂気。
優しさの白の中にうっすらと浮かぶ黒。
そんな印象を感じていました。
取材して分かったことは、
僕の直感は当たっていたということ。
今日はそんな福田さんの人生を掘り下げていきます!
きっかけは褒められたこと。
福田さんは現在Web制作会社の代表として社員一人、アルバイト一人を抱える社長です。
そんな福田さんの原点は幼少時代にあります。
今では想像できませんが福田さんは子どものころ内気で大人しく、少しいじめられがちでした。
保育園では滑り台から蹴り落とされたこともあるそうです(ハード)
しかし小学生に入り絵を書くようになり、友達が増え社交的な性格へ変化していきました。
そして、その絵を「褒められた」ことがきっかけで絵を書くことに没頭していくことになります。
(僕も小学生の頃に絵を書くのが好きで楽しかった原体験がこの業界に進むきっかけの一つになったので小学生の頃の体験ってホント大事だなと感じます。)
小学生の頃、どんなに絵を書くのが好きでも、ほとんどの人が中学に入る前にやめてしまいます。
しかし!福田さんは中学に入ってもひたすら絵を書き続けました。
その頃にはイラストではなく「漫画」を書くことに没頭しており、うっすらと将来「漫画家になりたい!」という夢を抱いていました。
高校時代にコンテストで優勝!そしてはじめての絵の仕事。
そして漫画を書き続けた福田さんはついに高校生の頃に「まんが甲子園」で優勝しました!
努力を続けて、仲間と一緒に掴んだ優勝!もうジャンプの漫画みたいな展開です。
さらにこの優勝をきっかけに、様々な道が切り開かれていき、新聞社からイラストの仕事を依頼されることに!
とんとん拍子に進む漫画人生!
かと思われましたが、そのイラストの仕事で思ったような仕事ができず悔しい思いをした福田さんは
もっとしっかり勉強をしたいとデザイン専門学校へ進学することに決めました。
デザイン専門学校行きグラフィックデザインの道へ。
デザイン専門学校のグラフィックデザイン科へ入学した福田さん。
ここでは様々なことを勉強しました。
ロゴやパンフレットなどのグラフィックデザインはもちろんですが、当時需要が増していたWeb制作の授業も勉強したそうです。
特にWebの勉強は得意で友達によく教えていたそうです(後にWeb業界に行く伏線ですね)
しかし就職活動の時期になり現実の壁にぶつかります。
当時のデザイン業界の就職はとても狭き門で、正社員はおろかアルバイトでも苦労する状態でした。
そんな中、漫画家になるという夢は更に狭き門。
少しずつ漫画家からデザイナーへと気持ちが揺らいでいる自分がいました。
無職で単身東京へ旅立つ。
そして、福田さんは就活を一切せず、先輩を頼りに上京します。
理由は「どうせ修行するなら厳しそうな東京で」という少年漫画っぽい発想でした。
当時の東京はとりあえず飛び込んでしまえば仕事がある時代。
福田さんも出版社の編集にアルバイトで潜り込むことに成功しました。
「雑誌をつくることができたら一人前」
という言葉を聞いたことがある福田さんは一生懸命頑張りました。
そして3ヶ月後、編集長から言われました。
「やる気があるなら社員として頑張ってみるか?」
でも、福田さんは気づきました。
3ヶ月間まったくデザインの仕事をしていないことに
当時、デザインと編集の違いが分からない福田さんは思ってたことと違うことをしていたのです。
福田さんは編集長に謝って次の仕事を探しました。
やっと就職した会社を連続でクビになる。
次はようやく小さなデザイン事務所で働くことができました。
しかし、その会社は令和には一発でアウトになるようなコンプライアンス的に際どい会社で
「こ◯すぞ!!!」などの厳しい叱責が行われていたそうです。
社長は酔っ払って怖い人の車に飛び蹴りをするような方で、
新人の福田さんは厳しいモラハラを受けたあと2年でクビになりました。
世間の不合理さを感じた福田さんは、引っ越しのバイトで食いつなぎながらが考えました。
そして、世間は冷たい、だから僕がもっと強くならなければ!
と、髪を染め腰にメリケンサックを装備しました。
そしてついに2社目の会社で働くことに。
「次の会社では、なめられないようにするぞ」
と福田さんはジャックナイフのように尖り続けました。
摩擦を恐れず、周囲を引きずり回しました。
そんなある日、上司から会議室に呼ばれました。
そして、福田さんはクビになりました。
尖った1年間でした。
そして、ようやく落ち着く福田さんの人生。
方向性を取り戻した、福田さん。
なんだかんだで3年以上の実務経験を経たことで3社目はスムーズに決まりました。
従業員数50人以上の大きな会社で、ここで初めてWeb制作の部署に配属することになります。
初めてのWebの仕事で分からないことだらけの福田さんは、
時に上司に椅子を蹴られながらも頑張りました。
そう、ここで一社目のおかげでモラハラ耐性がついていたのです。
さらに最初まったくWebができずにクビになりそうでしたがイラストが描けることで回避できたそうです。
ここに来て、漫画家を目指していた経験が活きるというエモい展開。
この会社では7年働いて、ついにチームリーダーというポジションに就くことに。
そして福岡に支社を出すことになり、その立ち上げに任命されます。
まさに大チャンス!ここからサクセスストーリーが始まる雰囲気がプンプンします!
が、福田さんはふと思います。
「このままずっとこの仕事を続けて良いのだろうか?自分が本当にやりたいことは漫画なんじゃないか?」
そしてその思いを社長に伝えることにしました。
「社長、漫画を描きたいです」
と土下座をし、スラムダンクの三井ばりの情熱を伝え退職しました。
夢を取り戻す。漫画家になるためにアシスタントになる。
一年間。
福田さんは期間を決めて本気で漫画家を目指すことにしました。
年齢的にも最後のチャンスと決めQP我妻涼 〜Desperado〜 やバブル〜チカーノKEIの連載をされている今村KSK さんのアシスタントをしながら漫画漬けの生活を送りました。
ジャンプに持ち込みをしたり、漫画塾に通って研鑽したり。
担当さんもついてたくさんの漫画を描きました。
とにかくがむしゃらに頑張りましたが、
なかなかうまく行かず、
時は流れ、35歳の時に漫画一本でやっていくことを諦めました。
前職の付き合いから漫画家の収入を補完するために行っていたWeb関連の仕事を本業としてやっていきながら漫画家を目指す方向にしました。
熊本でフリーランスになる。
気づけば時代はリモートワーク全盛、福田さんは東京で働く理由はないなーと思い地元熊本に戻りました。
最初は前職の東京の会社の仕事を受けながら、少しずつ地元の会社ともつながっていき、
弊社も福田さんと出会い一緒にお仕事をするようになりました!
2020年くまwebの最初の忘年会。
忘年会で唯一無二の盛り上げ役
熊本に根ざして、たくさんの仲間ができ、仕事が生まれました。
そして結婚をして子どもが生まれ家族ができました。
今では社員さん1人とパートさん1人を抱える制作会社の代表です。
諦めるまで夢は終わらない。
「正直、いまは漫画描けてないです。」
社員をかかえ、小さなお子さんの子育てが忙しい時期の福田さんにとって、
漫画家という夢は昔ほど大きなものではなくなっているのかもしれません。
「でも、漫画家になるという夢はまったく諦めてないんですよね。
今はとても長いスパンで考えています。仕事や子育てが落ち着いてからでもいいし、死ぬまでに漫画家になります。」
と笑って話す福田さん。
去年、中原とほるさんという方が81歳でビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞を受賞されました。
「野球で話せ」中原とほる
https://bigcomics.jp/episodes/9244d618468dc/
左ききのエレンがブレイクしたかっぴーさんはWeb制作会社のデザイナー時代に書いていた漫画がSNSで話題になったことがきっかけで漫画家になりました。
まさに漫画のような物語が現実に起きてもおかしくないのが今の時代です。
福田さん、長い時間インタビューにお付き合いいただきありがとうございます!
くまwebではこれからもユニークで魅力的なクリエイターにスポットライトをあてていきますのでお楽しみに!
あ!福田さんとくまwebでコーディングを学べる漫画とか書いても面白そう。
どうですか?畑中社長?笑
日々ハイペースでコーディング! 進化をつづけてます!
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